東京大学 世界史論述 2012 問1<授業で扱ったネタ>

論述データベース

ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀にはいると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立を達成する。

しかし、その後も旧宗主国(旧植民地本国)への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国内の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。

植民地独立の過程とその後の展開はヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。

以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。(1行30字、540字)

【語句】

カシミール紛争 ディエンビエンフー スエズ運河国有化 アルジェリア戦争  

ワフド党 ドイモイ 非暴力・不服従 宗教的標章法(注)

(注)2004年3月にフランスで制定された法律。

「宗教シンボル禁止法」とも呼ばれ、公立学校におけるムスリム女性のスカーフ着用禁止が、国際的な論議の対象になった。

<問題文を整理>

リード文より。

要件①

アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じる。

要件②

植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。

要は、旧宗主国間の植民地政策の差異と、被植民地側の独立の過程の差異、2つの視点を盛り込む。

どうやら、植民地政策の性格がその後の独立の過程の性格を規定しているらしい。

要件

さらに、独立運動を、社会主義運動や宗教運動と関連付けないとダメらしい。

これを540字で書きたまえと。むずい。

<解答作成のポイント

< ヨーロッパ諸国(英仏)の植民地政策の特色を考える。>

英仏の植民地政策の差異を明確にするとよい。

② 数ある植民地政策のうち、宗教政策と、独立運動に対する対応策に焦点を当てる。

③ 宗教政策に関して。

仏国が同化政策(アルジェリア)を採ったことに対して、英国は宗教を組織化し、さらに対立をさせた。分断政策。(インド・パキスタン)

④ 独立運動に関して。

インドに対しては円卓会議を通じて独立を認め、ワフド党(エジプト)に対して穏和な態度をとるなど、イギリスは独立運動に対して武力行使をすることはなかった。一方、フランスはベトナムやアルジェリアの独立運動に対しては武力行使。

⑤ 社会主義に関して。

フランスのベトナム撤退後の話。北側はソ連と接近したことにより、アメリカの介入を受ける。

最も簡潔化されたプロットは以上の通りかと。

<被植民地地域側を、地域別に考えてみる

<インド>

第二次世界大戦を前にして、実質的には大戦の協力を求めながら、インドの自立を認める。

これによってヒンドゥー教徒が「多数派」になる。

戦後はイスラムと分離独立するが、インドに残るムスリム(少数派)との対立やカシミール帰属問題が勃発。

イギリスの宗教政策が遺恨を残す結果となった。

<アルジェリア>

アルジェリア国内について。

約900万のアルジェリア人に対して、100万のフランス人子孫(コロン)が支配する体制であった。

それに対し、民族解放戦線(FLN)が組織され、アルジェリア戦争が勃発。

エジプトが支援したことや、現地フランス人の反乱をコントロールできなくなった第四共和政は倒れる。

続く第五共和制ド=ゴール政権の下で、アルジェリアは独立を果たした。

フランスのアルジェリアにおける同化政策は頓挫したものの、

フランス語圏となったアルジェリアからは、フランス国内に移民が送られ、民族問題は今なお絶えない。

<エジプト>

第一次世界大戦後、イギリスはエジプト王国の建設を認め、ワフド党内閣が誕生。

36年にはイギリス=エジプト軍事同盟によって、エジプトの主権とスエズ駐兵権を相互に認める。

イギリスとワフド党の関係は良好であった。

しかし、第一次中東戦争でワフド党がアラブ人を見殺しにしたことをエジプト国民は看過しなかった。

52年にエジプト革命が勃発。翌年エジプト共和国成。アラブの盟主として英仏と戦うことになる。

<ベトナム>

第二次世界大戦後、ベトナムでは、フランスの傀儡国家、ベトナム国が樹立。

のち民族運動が勃発。ディエンビエンフーで勝利し、仏国撤退。

ディエンビエンフーで勝利し仏国が撤退させたが、同国の社会主義化を認めない米国の介入を受けた。

【解答例】

英領植民地では、インドで非暴力・不服従運動によって、エジプトでワフド党が交渉によって、それぞれ主権を回復した。インドの独立はヒンドゥー教徒を多数派とすることが前提であって、独立前の宗教分断政策の影響によってイスラムとの分離独立を果たすわけだが、結果的に国内の少数派であるムスリムとの対立やパキスタンとのカシミール紛争など、国内外の宗教対立が残る結果となった。また、英国とワフド党の良好な関係のために、第一次中東戦争においてエジプトがアラブ人を見殺しにしてしまった。そのため、エジプト国内の民族運動が高揚し、新政権のスエズ運河国有化を機に両国は関係を悪化した。仏領植民地では、アルジェリアで仏人入植者による同化政策が展開され、ベトナムにおいては傀儡政権が樹立された。これらの地では、仏国支配に対する民族運動が激化した。前者はアルジェリア戦争で独立は達成されるも、その後の同国は経済難が続き、仏国への移民が絶えなかった。現代では宗教的標章法にみられるように、仏国内での同化政策は今なお続いている。また、後者はディエンビエンフーで勝利し仏国が撤退させたが、同国の社会主義化を認めない米国の介入を受けた。戦争に勝利し社会主義国となるも、現代ではドイモイで市場経済が導入されている。(536)

コメント

タイトルとURLをコピーしました