Episode1 第1回W杯の開催地で、優勝国
“サッカーの母がイングランドなら、ウルグアイはサッカーの父”
第1回ワールドカップは1930年、ウルグアイで開催。ウルグアイはこの大会で優勝、初代世界チャンピオンになったのは有名なお話。
そもそもW杯は、ウルグアイ建国百周年記念の国家行事のとして開催されたのが始まり。スペイン植民地であった、ウルグアイは1828年、ウルグアイ東方共和国として独立してのち、1830年に憲法制定。1930年が実質的な建国百周年だったのです。
ウルグアイは19世紀末の有刺鉄線や冷蔵庫の発明で、羊毛・牛肉の輸出大国として発展。労働力としてイタリアなどの南欧系移民を受け入れた結果、人口が倍増し、経済的な発展を迎えた歴史があります。経済的発展と引き換えに、ウルグアイ人口の過半数は外国人になったわけですが、逆にウルグアイ政府にとっては、「国民統合」が課題になったわけです。
多民族国家において、国民のルーツはぞれぞれ違うわけですから、国民の「同質性」を作り上げるためには、国民統合のストーリーを作り上げるしかありません。そこで行われたのがW杯。サッカーを通じての熱狂で「ウルグアイ人」が誕生するわけです。
ウルグアイは決勝でアルゼンチンを下しましたが、アルゼンチンはウルグアイ独立前に干渉を行った国でもありました。政治的にも「仮想敵国」として設定しやすかった。ルーツがバラバラの国民も、アルゼンチンが「国民の共通の敵」であることによって、「同質性」を獲得しやすかったわけです。
世界史入試的補足
①1820年代はラテンアメリカ独立の年代。100年後にW杯開催。
②サッカーが南米に普及したのは、イタリア系移民の入植がきっかけと言われている。最もポピュラーなイタリア系移民の子孫はアルゼンチン代表のメッシ。
Episode2 前回大会準優勝国 クロアチア
Chapter1 2018年7月2日、ニジニーノブゴロドにて
デンマークとの壮絶なPK戦を制し、20年ぶりにベスト8に駒を進めたクロアチア代表!両キーパー合わせて5本のPKを止める、延長戦のクロアチア主将モドリッチがPKを阻止されたことも含めると、6/11本の神セービングを見届けることに。
しかし、思いを馳せたのは神セーブに対してだけじゃない。カジヤはハンパないPK戦に対し、大いに絶叫しながらも、このPK戦から1990年大会の記憶が蘇ったのだ!(にカジヤは1991年生まれなんだけどね。)
それは、クロアチアの旧体制である、「ユーゴスラビア」に関する記憶だ
Chapter2 1990年イタリアW杯、準々決勝、ユーゴスラビアvsアルゼンチン
ユーゴズラビアとアルゼンチンとの試合は、記憶に残る試合の一つとして現在でも語られているぐらいに、サッカーファンの間で有名。
ちなみに、当時このチームを率いたのが日本でもお馴染みのオシムさんだ。
相手国アルゼンチンのエースにはマラドーナ。
この試合の途中で、選手一人が退場し、ユーゴスラビアは試合の大半を10人で戦うことを余儀なくされたが、それでもこの試合は延長を含めて0-0のスコアレスドローに終わり、PK戦に突入。
しかし、あろうことか、このときPKを蹴ることを申し出たのはたったの2人!!しかも、PKを蹴りたくなくて、試合中にスパイク脱ぐ選手も現れた。結局、申し出た2人以外の3人がPKを外して、ユーゴスラヴィアは敗れた。
カタール大会のセルビア代表監督、「妖精」ストイコビッチもPKを外してしまったメンバーの一人。(なおセルビアも旧ユーゴズラビアの構成国である。)
PK拒否というのは、かなりの異常事態。これには当時の国内の政治状況が大きく関わる。
Chapter3 ユーゴズラビア 「1から7までの国」
1つの連邦国家(ユーゴスラヴィア連邦人民共和国)、2つの文字(アルファベット、キリル文字)、3つの宗教(ロシア正教、カトリック、イスラーム教)、4つの言葉(スロベニア語、クロアチア語、マケドニア語、アルバニア語)、5つの民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ムスリム、アルバニア人)6つの共和国、(スロヴェニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)7つの国境。
かつてのユーゴスラヴィアはいわゆる「モザイク国家」だった。モザイクのように様々な民族や宗教が入り乱れ、紛争が絶え間なかった。ちなみにユーゴスラビアというのは「南スラブ人の土地」という意味。みんなスラブ人だ。しかし、みんな同じスラブ人なんだけど、信条や言語が違うがゆえに、「同質性」を互いに見いだせなかった。ユーゴスラビアという国はあるんだけど、「ユーゴスラビア人」っていうのは、存在しなかった。
1990年のイタリア大会では、連邦内の民族主義者たちにとっては、ユーゴスラビア代表を応援するよりも、自分と同じ民族の選手が活躍を期待しているわけです。同じチームの他民族選手よりも自民族の選手が活躍すればよいと。ピッチ上で、味方同士で代理戦争をしてるような心地だっかもしれない。
だからPKなんて蹴りたくない。PKを外したら国内の民族主義者に何と言われるか分からない。帰国したら、殺されるかもしれない。
Chapter4 1991年 クロアチアの独立
話をクロアチアに戻そう。
クロアチア人は他の民族同様スラブ人でありますが、オーストリアに支配されていた歴史が長く、例外的にカトリックを信奉するスラブ人集団。(基本的にスラブ人はロシア正教を信奉する場合が多い。)だからお隣のセルビア人とは本当に気が合わなっかた。だから91年に連邦からの分離を宣言。しかし、連邦からの分離後も、クロアチア国内には多くのセルビア人が残留していた。
結果として、「クロアチア人」による国民統合を推進する民族集団と、「クロアチア人」による統治を断固拒否する民族集団が誕生するわけです。
クロアチア国内における「セルビア人問題」は長期に渡った。1991年~1995年にかけて、5年間もクロアチア人とセルビア人はお互いを憎み合い、命を奪い合った。最終的にはアメリカの容認で武力での解決がなされ、事実上のクロアチア人による国民国家が誕生。
セルビア人との遺恨は今でも残っている。
Chapter5「ストーリー」を共有する「モドリッチ世代」
今大会快進撃を続ける、クロアチア代表は、中心選手の名から、「モドリッチ世代」と呼ばれているが、彼らのほとんどは、90年代の内戦の渦中に幼少期を過ごしたそうだ。
中には家族を殺された選手もいるだろう。逆にセルビア人からは未だに敵対視されているかもしれない。
しかし、どんな形であれ、彼らは国民国家が建設される過程を経験したのは間違いない。そしてメンバーの多くは、国民国家誕生の「ストーリー」を共有している。旧体制下のユーゴスラヴィアとは好対照だ。執念のPK戦を見てもそうだ。PK戦から逃げていた選手はもちろん誰もいなかった。
クロアチア代表は、「東欧のブラジル」とも呼ばれているが、ブラジルのような華麗なプレイで魅了するチームという印象も確かにある。しかし、全員でハードワークを行えるところに本当のチームの良さがあると、個人的には思っている。全員で同じ方向を向いている「ナショナル」なチームがクロアチアなのだ!
カタール大会はモドリッチ世代最後のW杯!クロアチアのチームワーク、ベテランの活躍から目を離すな!
補足 入試で問われるクロアチア史
① クロアチアはカトリックを受容した!
② ユーゴスラビアの偉大な指導者ティトーはクロアチア人!
③ ティトーが死ぬまではセルビア人とギリギリ仲良くできた!
④ 1980年のティトーの死から民族主義運動が再燃!
⑤ 2013年にEUに加盟、旧ユーゴ勢からはスロヴェニアに次いで2番目!
補足 1990年イタリア大会
① ユーゴスラビアとしては最後の大会!
② ソ連としても最後の大会!
③ チェコ・スロヴァキアとしても最後の大会!
④ 西ドイツ・東ドイツとしても最後の大会!
⑤ 前年の1989年は東欧革命!
⑥ 東欧の共産主義体制が倒れまくった!
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